憲法改正の論点 ~中国リスク~
2018/06/12
安倍首相が憲法改正を掲げるようになってから、改憲の是非を巡って様々な報道がなされるようになりました。しかし、殆どの報道では憲法を改正しなければならない最大の理由と思われる中国リスクについて触れられていません。
第二次世界大戦後、日本は戦争をすることなく平和に暮らすことができていました。しかし、世界では現在も他国への侵略や、民族浄化が行われています。隣国である中国やロシアもその例外ではありません。
この投稿ではこういった中国リスク等について説明することで、いま日本がどのような状況に置かれているのかを少しでも多くの方に認識して頂くことを目的としています。そして、改憲反対派の政治家やマスコミに対してこの質問を投げかけて頂くことを願っています。
目次
新疆ウイグル自治区と中国
中国内陸部に新疆ウイグル自治区(東トルキスタンとも言います)というエリアがあります。以下引用している各種報道等によれば、同自治区に住んでいるウイグル人たちは中国による侵略、虐殺を繰り返し受けているとのことです。
<各種報道の概要>
- それまで独立国家であった東トルキスタンは、1949年に中国に不法に占拠された
- 中国によってウイグル人に対する民族浄化が行われてきた
- 30~50万人のウイグル人未婚女性が強制送還された
- 近隣住民を避難させるなどの対策を行わないまま46回もの核実験が行われ、100万人以上の放射能による犠牲者をだした
- 生物実験による虐殺が行われてきた
トゥール・ムハメット氏(日本ウイグル連盟)
主権、自治権、基本的人権の獲得がウイグル人の目標だ。東トルキスタンは、今の中華帝国が押し出している「一帯一路」の中心地域だ。これはバロチスタンの状況とまったく同じだ。われわれは独立国家を目指している。なぜなら、東トルキスタンは不法に占拠された独立国家だから。この東トルキスタンは数千年続いた独立国家の歴史がある。近代は1933年から34年までの東トルキスタン、44年から49年には東トルキスタン共和国を再建した。
中国はこの68年間、ウイグル人の民族浄化を続けている。核実験による虐殺、生物実験による虐殺、人口侵略による支配がある。中国人(漢民族)の人口が49年は4%だったが、今は50%に増えた。
計画出産で、ウイグル人は500~800万人削減された。未婚女性は30万人から50万人ぐらいが中国に強制連行された。
同化政策によってウイグル語の使用禁止、イスラム教に対する強い制限が続いている。中華文化への強制同化に抵抗した人には容赦ない弾圧と殺戮(さつりく)が続いている。多くのウイグル人が政治犯として収監されている。中国の刑務所にウイグル人が10万人いるといわれている。われわれの独立、主権、民族自決権、基本的人権を獲得する戦いは続く。ぜひ日本からわれわれをサポートする体制をつくっていただきたい。
出典: 産経ニュース 2017年5月26日 「未婚女性は30万人から50万人ぐらいが中国に強制連行された…」 ウイグル人らが人権弾圧の実態を報告(詳報)より一部抜粋
東トルキスタンでは、1949年に中国から支配されて以降、多くのウイグル人の命が奪われ、言語、文化、宗教などウイグル人の民族を形成する要素が、徹底的に管理された状況に置かれています。
ウイグル人が本来享受するべき資源や大地の恵みの殆どは中国人に牛耳られ、経済的にも翻弄される現状が続いています。
また、「新彊ウイグル自治区」は、名ばかりのウイグル人の主席を置きながら、実権は漢人が務める共産党書記が握っています。「自治区」とは程遠いのが現状です。
(中略)
○大量の漢人が東トルキスタンに移住し、ウイグルの若者が内地へと強制移送されています
中国政府は「少数民族」の同化を目的として、さまざまな民族浄化政策を行っています。そして政府主導の元、大量の漢人の移住を進め、それと平行して数年前からは、ウイグル人の未婚女性を数万人単位で強制的に中国の沿岸部へと移送しています。さらに農村部の若者達も中国沿岸部に移送し、安価な労働力として酷使しています。東トルキスタンにおいてさえ、ウイグル人は少数派へとおしやられようとしています。
(中略)
○核実験場とされ多くの犠牲者が出ています
「さまよえる湖」として有名なロプノールが中国の核実験場でした。すぐそばに住民が住んでいるにも関わらず、避難させるなどの対策を行わないまま46回もの核実験行われ、100万人以上の放射能による犠牲者が出ていると推測されています。
イギリスBBCの現地の潜入取材によるドキュメンタリー映画「Death on the Silkroad」は、50カ国以上の地上波で放送され大きな反響を呼びました。
出典: 日本ウイグル連盟 「現在起きている問題」より一部抜粋
ウイグルの人々の自由、民主、人権、民族自決権、そして、東トルキスタンの独立した政治的将来の獲得を目的として活動している国際的な組織として世界ウイグル会議という団体があります。
ウルムチ大虐殺等ウイグルで起きている様々な問題についての記載があるので、ご参考までにリンクを貼っておきます。
この世界ウイグル会議は2012年に日本でも開催されました。その際、中国政府は日本の国会議員に対して会議に出席しないように脅迫してきました。
中国からすればウイグルの問題を可能な限り外国に認知してほしくないという思惑があり、このような脅迫をしてきたものだと思われます。
こういった脅迫があったことは日本政府も認めています。ご参考までに、外務大臣の記者会見議事録の一部を記しておきます。
【フリーランス 安積氏】
日中関係についてお伺いいたします。14日から東京で世界ウイグル会議というのが開催されておりますが、このウイグル会議に参加した一部の議員、何しろ参加していない議員に対しても実は中国の程大使から文書が送られておりまして、その中に世界ウイグル会議第4回代表大会に関して、日本政府が認めれば日本自身の安全にも害があるというように断定的に述べている文書を送りつけられました。これについて、外相としてどういうようにお考えになりますでしょうか。
【玄葉大臣】
まず、安積さんにこの間きちんとお答えできなかった慰安婦の話ですけれども、あれから調べましたけれども、やはり、交換条件のようなものは提示していないということでありましたので、そのことを冒頭まず申し上げたいと。念のため確認を、そういう事実は承知してないと一言あの時申し上げたと思いますけれども、改めて確認をしましたらば、やはり交換条件のようなものは出してないということでありました。それと、国会議員に程大使から書簡が送りつけられたというか、送られたというか、その話は聞いております、承知しています。やはり、このウイグルの問題というのは基本的に中国の内政問題です。ただ、表現の自由の問題だとか、やはりそういった普遍的な価値の問題について、私(大臣)は常に注視をしていますので、そういった意味で、やはり適切に対応していかなければいけないと思っています。
出典: 外務省 外務大臣会見記録(2012年5月16日)より一部抜粋
イギリスの公共放送局であるBBCがウイグル問題に関する報道をしています。第三者による報道としてご参考までに紹介いたします。
テリーザ・メイ英首相が中国を訪問するなか、英国政府は新疆ウイグル自治区で、主にイスラム教徒のウィグル族について信教の自由が侵害されている恐れがあると懸念を表明した。
トルコに亡命したウィグル族の男性はBBCに対して、残された家族が収容所で拷問されているかと思うと、「いっそひと思いに撃ち殺してほしい、銃弾の金は払う」とBBCに話した。
撮影も取材も厳しく規制されている新疆ウイグル自治区から、BBCのジョン・サドワース記者が報告する。
出典: BBC 「いっそ妻と母を撃ち殺してくれ」 亡命ウィグル男性(2018年2月2日)より一部抜粋
チベット自治区と中国
中国の南西部にはチベット自治区があります。以下引用している各種報道等によれば、この地域もウイグルと同様に中国による侵略、虐殺を繰り返し受けているとのことです。
<各種報道の概要>
- 1949〜1979年の間に発生した中国による侵攻及び文化大革命などを通じて、約120万人のチベット人が命を落とした。チベットの人口が当時600万人程度とされており、5人に1人が死亡したと試算される
- 2,500カ所あった仏教寺院は、中国から侵略された1950年代以降破壊が繰り返され70カ所に減った
<チベット犬やモンゴル馬を中国豚が駆逐する――民族弾圧は血の殺戮から文化抹殺の段階へ>
中国は50年代初頭にチベットを侵略した際と、66~76年の文化大革命中に、チベットと内モンゴルでジェノサイド(集団虐殺)を進めた。
これらの地域を「自治区」として中国の辺境に編入してからは殺戮だけではなく、「文化的ジェノサイド」も行っていると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は主張する。英オックスフォード大学から2010年に出版された『ジェノサイドのハンドブック』もその事実を認めている。
(中略)
チベットが侵略される50年代以前には2500カ所もの仏教寺院があったが、ダライ・ラマがインドに亡命した59年以降、70カ所を残してそのほかは全て破壊された。十数万人いた僧侶と尼僧も97%が還俗を強制され、寺院は減り続けている。
チベット自治区に隣接する四川省甘孜(カンゼ)チベット族自治州でも、中国政府は最近、世界最大の仏教学府「五明佛学院(ラルンガルゴンパ)」に共産党委員会を進駐させた。公安局と政府幹部を常駐させて、昨年7月には数千人もの尼僧を追放。共産党の直接支配下に置かれている。
出典: Newsweek 「チベットの僧侶も犬も大処分、中国の文化的ジェノサイド」(2017年09月30日)より一部抜粋
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPには、「侵攻及びその後の文化大革命などを通じて、約120万人のチベット人が命を落とし」との記述がある。かつてのチベット地域の居住者は約600万人とされ、これは「5人に1人」という死亡率(20%)である。
太平洋戦争の日本の死亡率(約3%=戦没者約221万人、当時の人口約7,400万人で計算)の6倍以上にもなる。
前出のHPには「約6,000ヶ所の寺院が破壊された」ともある
出典: 夕刊フジ 「【朝日新聞研究】チベット報道と侵略 根本的知識の提供なく、本質に踏み込まず」(2015年11月21日)より一部抜粋
刑務所や強制労働収容所での死亡事例
刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。これら収容所から生還した人の話によると、毎日10〜30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で8,000人以上が死亡したという。また、中国が解放軍の仕事だったと主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりするのが見られたという。東チベットの例では、1960年〜1962年の間に、ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者のアディ・タペさんは証言している。
また、チベット亡命政権が収集した情報をまとめると、1949〜1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。
出典: ダライ・ラマ法王日本代表部事務所ウェブサイト 「チベットの人権問題」より一部抜粋
内モンゴル自治区と中国
中国北部のモンゴル国と接している地域には内モンゴル自治区があります。以下引用している各種報道等によれば、この地域もウイグルやチベットと同様に中国による虐殺を繰り返し受けているとのことです。
<各種報道の概要>
- 元々一つの国家であった内モンゴル自治区とモンゴル国は、1945年のヤルタ協定で内モンゴルが中国の一部とされた。その過程で多くの国際会議や国同士の話し合いが行われたが、内モンゴルの代表が独立を主張したり、他国が利益を代弁したりする場面はなかった。政治力や軍事力が不足していた内モンゴルは、国際政治の舞台で大国の利害に翻弄されてしまった
- 1966~1976年の中国の文化大革命期に、モンゴル人の34万人が逮捕され、3~10万人が拷問によって殺害され、12万人に身体障害が残った。当時内モンゴルには150万人近くのモンゴル人が暮らしていたと言われており、5人に1人が逮捕されたと試算される
かつて清朝の支配下にあった内モンゴルですが、辛亥革命が起きた1911年、外モンゴル(現在のモンゴル国)とともに統一モンゴル国の独立を宣言しました。
しかし、清朝を倒した中華民国は統一を認めず、戦争が起きました。そして15年に、ロシアと中華民国の間で、外モンゴルのみの自治を認める決定がなされ、それ以降、内・外モンゴルは異なる道を歩みます。
その後、内モンゴルは45年のヤルタ協定で、中華民国の一部とされ、国共内戦が続く47年に中国共産党によって「内モンゴル自治区」に組み込まれました。
この過程で、多くの国際会議や国同士の話し合いが行われましたが、内モンゴルの代表が独立を主張したり、他国が利益を代弁する場面はありませんでした。大国の利害に翻弄され続けた内モンゴルは、国際政治の舞台で政治的、軍事的な「力」が足りなかったのです。
恐怖で声も上げられない
自治区を設置した中国共産党は当初、「モンゴル人の自治を守る」「お互い平和に暮らそう」と甘い言葉を使って内モンゴルに軍隊を送り込みました。
ところが、60年代の文化大革命時の「内モンゴル人民革命党粛清事件」では、自治を求めるモンゴル人が「民族分裂主義者」として大量に虐殺されました。
この事件では、中国政府が発表した控え目な数字でも逮捕者は35万人、拷問で身体的な障害が残った人は12万人。死亡者は3万人近くですが、5万人や10万人という説もあります。
当時、自治区内にいたモンゴル人は150万人弱なので、平均して1世帯から1人の逮捕者が出た計算です。現在も内モンゴルの町には、顔や腕、足などに障害を持った人がたくさんいて、事件の傷跡は癒えていません。
日本の皆さんは、内モンゴルでデモや反政府運動が起きたニュースを聞かないと思いますが、徹底的に弾圧されたモンゴルの人々は恐怖心が強く残り、声を上げる気力もないのです。
出典: ザ・リバティWeb 「国が滅ぶ理由」(2011年3月号)より一部抜粋
オルホノド・ダイチン氏(モンゴル自由連盟党 代表)
第二次世界大戦後、モンゴルの半分が中国に引き渡された。中国の一部となって内モンゴル自治区と呼ばれている。1947年、中華人民共和国ができる2年前に起きたことだ。もちろんモンゴル人が中国の中にはいっても平和で幸せに暮らせているなら別だが、この70年間の歴史を見るとまったく違っていたことが分かる。文化大革命の十年間、中国はわれわれ南モンゴル人を、文化大革命に反対、中国政府に反対したという罪で拷問、逮捕、殺したのではない。モンゴル人であるということで、われわれに罪を与えて3万人以上も殺した。だが、この数は中国側の説明であり、もっと多くの南モンゴル人が殺された。文化大革命が終わった後も、中国の南モンゴルに対する政策は実は変わっていない。南モンゴルは、皆さんのイメージの中では、広い大草原で緑があふれている豊かなところだというイメージがあるかもしれません。しかし、工業化によって汚染されているのが現状だ。開墾だけじゃなく、地下資源を乱暴に開発している。それだけじゃなくモンゴル人の特徴をどんどん奪っている。
文化大革命期の南モンゴルにおけるジェノサイドをユネスコの世界遺産に登録するため申請をしようとしている。6月1日に記者会見をする。
出典: 産経ニュース 2017年5月26日 「未婚女性は30万人から50万人ぐらいが中国に強制連行された…」 ウイグル人らが人権弾圧の実態を報告(詳報)より一部抜粋
今月初め、クリルタイは再び東京に集結。永田町の参議院議員会館で会見を行った。なかでも注目は、66~76年の中国の文化大革命期に内モンゴルで起きた大量虐殺・拷問に関する記録についてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産登録を目指すと発表したことだ。既に研究者によって公開された膨大な第1次史料の収集をさらに進め、英語に翻訳。来年6月までに申請するという。
史料によると、文革時の内モンゴルには150万人近くのモンゴル人が暮らしていたが、そのうち34万人が逮捕され、2万7900人が拷問を受けて殺害され、12万人に身体障害が残ったという。障害を負わされてからしばらくした後に亡くなった「遅れた死」を含めると、死者数は10万人以上との報告もある。
出典: Newsweek 「モンゴル人を大量「虐殺」 記憶遺産に値する中国の罪」(2017年6月20日)より一部抜粋
ここで中国現代史のもう一つの「30万人」を見ておこう。
「内モンゴル自治区政府幹部で、ジェリム盟出身のアムルリングイは、地面に押さえつけられて、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れられ、鉄釘を頭に打ち込まれました」
「あるモンゴル人は、マイナス四〇度まで下がるモンゴル高原の冬に、膝まで水を満たした『水牢』に入れられ、その足は水とともに凍ってしまいました」
「ブタやロバとの性行為を強制する、燃えている棍棒(こんぼう)を陰部に入れるなど、中国人たちはおよそ人とは思えない残虐な行為を行っていました」
「妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引っ張り出すという凄惨(せいさん)な犯罪も行われ、中国人たちは、これを『芯を抉(えぐ)り出す』と呼んでいました」
静岡大学教授、楊海英(大野旭)氏の著書「狂暴国家 中国の正体」から引いた。楊氏は内モンゴル自治区出身で、自らを「亡国の知識人」とみなしている。
これら引用文が示す事例の、なんと残忍なことか。これらは1966年から中国で吹き荒れた文化大革命で、モンゴル人に対してなされたとされる事例である。主導したのは漢族。被害者数について楊氏はいくつかの数字を挙げている。欧米の研究者の数字として、拘束されたモンゴル人約50万人、うち殺害された者10万人。内モンゴル自治区のジャーナリストや研究者の数字として、殺害された者と釈放され自宅に戻ってから亡くなった人の合計は「30万人」。楊氏も、これは妥当な数字だとしている。
出典: 産経ニュース 「【河村直哉の国論】南京「30万人」固執する中国は「モンゴル人30万人」を虐殺した…文化大革命」(2015年1月23日)より一部抜粋
ウクライナとロシア
中国だけでなく、ロシアも他国へ侵略した事例が近年起きています。2014年にウクライナ東部のクリミア半島をロシアが武力によって編入しました。ロシアは自分たちの行いを正当化していますが、以下引用しているように、日本の社民党、大使館、報道機関等の情報からは、決して正当化できる行為ではないと推察されます。
<各種報道の概要>
- 2014年2月20日、ロシアはウクライナに対して周到に計画された武力侵略を開始し、軍隊の軍事作戦によりウクライナ領の一部であるクリミア半島を奪取した
- 2014年3月18日、ロシアのプーチン大統領とクリミア自治共和国の首相らは、クリミアのロシア編入を定めた条約に署名した。第2次世界大戦後の欧州で、武力による威嚇を背景にし併合を主張した初の事例となった
- ウクライナ東部での親ロシア派武装勢力と政府軍の紛争は現在も停戦合意が徹底されず、国連によると死者は1万人超にも達する
- 武力侵攻はロシアがウクライナに仕掛けるハイブリッド戦争の一要素に過ぎず、嘘や捏造に基づくプロパガンダも行われている
ロシアのプーチン大統領は18日、ウクライナ南部のクリミア自治共和国とセバストポリ特別市の独立宣言を受けて、クレムリンに上下両院議員らを集めて演説し、クリミア等のロシア編入の方針を公式に表明した後、クリミア自治共和国の首相らと編入を定めた条約に署名した。第2次世界大戦後の欧州で初めて武力による威嚇を背景にした「併合」の事例となる。一連のロシアの行為は武力を背景にしたウクライナの主権と領土の統一性の侵害であり、社民党は、国際社会における平和秩序を大きく壊す重大な行為に対し、厳しく非難する。
クリミア自治共和国の住民投票では、90%を超える住民がロシアへの編入を支持する結果となった。しかしこれは、ロシアがウクライナ新政権とウクライナ国民による意思決定に不当な影響を与えようとしてクリミア半島にロシア軍を展開するなど、軍事的圧力による緊迫した情勢のなかで行われたものであり、正常に行われたとは言えない。また、ウクライナの主権下にあるクリミア自治共和国のみでの住民投票は、「領土の変更問題は国民投票のみで議決できる」とのウクライナ憲法にも違反している。さらに、国連安保理でも住民投票を無効とする決議案が協議され、15カ国中13カ国が支持を表明している。
出典: 社民党公式ウェブサイト 「ロシア・プーチン大統領のクリミア編入表明について(談話)」(2014年3月19日)
事実1:ロシアはウクライナへの武力侵攻を事前に計画していた。尊厳革命の勝利は都合の良い口実でしかない
ロシアは2014年2月20日にウクライナに対して周到に計画された武力侵略を開始し、軍隊の軍事作戦によりウクライナ領の一部であるクリミア半島を奪取した。この日付については、ロシア国防省も否認しておらず、同省のメダル「クリミアの帰還」にも記されている。事実、この翌日にヴィクトル・ヤヌコーヴィチはキエフから逃亡し、2014年2月22日、ウクライナ国会は「ウクライナ大統領の解任と大統領選挙の早期実施」を採択した。ロシアはこれを「ウクライナの違憲クーデター」として非難した。
(中略)
事実3:武力侵攻はロシアがウクライナに仕掛けるハイブリッド戦争の一要素に過ぎない
武力侵攻はロシアがウクライナに仕掛けるハイブリッド戦争の一要素に過ぎず、次の要素も含んでいる。
1)嘘や捏造に基づくプロパガンダ 2)貿易および経済的圧力 3)エネルギー供給の停止 4)ウクライナ国民へのテロと脅迫 5)サイバー攻撃 6)反駁できない広範な証拠にもかかわらず、ウクライナへの戦争行為を強く否定する 7)自国の利益のために親ロシア軍と衛星国を利用する 8)自国が犯した犯罪で相手国を非難する
(中略)
事実5:ロシアの武力侵攻が深刻な人道的影響をもたらした
ウクライナに対するロシアの武力侵攻により、約9,940人が死亡し、23,455人が負傷した(国連のデータに基づく)。この数字には、2014年7月17日のテロ攻撃の結果死亡した子供80人を含むMH17便の298人の乗客が含まれている。マレーシア航空MH17便は、ロシア連邦から占領下のドンバスに持ち込まれたBUKミサイルシステムをロシア兵士が使用し撃墜された。
約1,584,000人のクリミアおよびドンバスの住民は、自宅からの退避を余儀なくされ、現在国内避難民となっている。
現時点では、ロシアはウクライナのクリミア自治共和国(26, 081平方km)、セヴァストポリ市(864平方km)、ドネツクとルガンスクの一部地域(16,799平方km)の合計43744平方km、つまりウクライナ領土の7.2%を違法に占領している。
出典: 在日ウクライナ大使館ウェブサイト 「ウクライナに対するロシアの武力侵攻について、10の知っておくべき事実」より一部抜粋
インタファクス通信などによると、鉄柵は約二億一千万ルーブル(約四億円)のロシア政府予算で年内に設置する計画。FSB担当者は「観光客や地元住民の安全保障はわれわれの優先課題だ」と述べた。
クリミア併合後の一四年四月に本格化したウクライナ東部での親ロシア派武装勢力と政府軍の紛争は現在も停戦合意が徹底されず、国連によると死者は一万人超。ロシアのプーチン大統領は今月、東部への国連平和維持活動(PKO)部隊派遣を提案したが、ウクライナのポロシェンコ大統領は「紛争を永久に凍結する結果を招く」と否定的だ。
出典: 東京新聞 「併合のクリミア、境界に鉄柵50キロ ロシア建設計画 実効支配進める」(2017年9月29日)より一部抜粋
ロシアのプーチン大統領が国営テレビの番組で、ウクライナ南部クリミア半島を一方的に併合した際、核戦力を臨戦態勢に置く用意があったことを明らかにした。
クリミア併合宣言から1年という時期に、核兵器の使用に言及すること自体、対露批判を続ける国際社会へのあからさまな威嚇、牽制(けんせい)だ。
大国の指導者からはかけ離れた到底、認められない発言であり、岸田文雄外相が「核兵器の使用はあってはならない」と強い懸念を示したのも当然である。
国際社会はプーチン発言を厳しく批判し、クリミア併合を既成事実化させないよう団結して取り組む必要がある。
プーチン氏は番組で、昨年2月にウクライナで親露派政権が崩壊した時点で、クリミア併合を決断していたことも明かした。
これまでは、翌月行われた住民投票を根拠に併合を正当化してきたが、自らそれを覆した。核使用も考慮し、領土拡張を果たそうとした本音を、隠そうともしない開き直りには呆(あき)れる。
出典: 産経ニュース 「クリミア併合1年 プーチン核発言に呆れる」(2015年3月18日)より一部抜粋
最後に
第二次世界大戦後、日本は戦争を回避してきました。しかし、以上述べてきたように、隣国である中国等は武力によって他国を侵略し虐殺してきた様です。
憲法改正に反対される方々が、その根拠として「日本が戦力/軍事力を放棄すれば他国から侵略されない」といった考え方がある様に思います。
しかし、それは全くの幻想であることが上記の事例から分かったのではないでしょうか。
軍事力が無ければ侵略されてしまう事例はいくらでも世界に溢れていると思います。マスメディアは中国の内政事情について報道できないなにかしらの理由があるのかもしれませんが、この投稿で引用しているような直接的な事例でなくても、他国の例を報道するなどして、「日本が戦力/軍事力を放棄すれば他国から侵略されない」という主張を可能な限りけん制してほしいと願っています。