中身のない議論で可決された大学無償化法案
2019年4月10日、衆議院の文部科学委員会で大学無償化の法案が可決されました。この法案の実態としては経済的に恵まれていない学生のほぼ全員に対して大学等に無料で通えるようにするというものです。
この法案は典型的なバラマキ政策であり、私は導入に反対の考えです。これではFラン大学を延命させることにもつながり、日本の経済成長に寄与しないことに税金が投じられることになるからです。
大学無償化補法案について検討した文部科学委員会の全議事録を確認しましたが、無償化に関する費用対効果や無償化の恩恵を受けるべき大学/淘汰すべき大学の議論が殆どなされていませんでした。
これは政治の怠慢と言わざるを得ません。
私としては、現行の大学無償化を取りやめて、センター試験(大学入学共通テスト)で上位の成績を獲得した学生に対して、どの大学に入学しても学費が免除されるという制度を導入すべきだと考えています。
国会で可決された法案は大枠を決めたものにすぎません。具体的に誰が無償化の恩恵を受けるのかについては、これから政省令において定められていきます。
文科省の官僚の方々には、是非税金の無駄遣いにならない様政省令等の詳細を詰めて頂きたいと願っています。
上記の様な代替案を推奨している根拠や背景について、以下順を追って説明します。
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目次
大学無償化を巡る国会での議論
2019年3月20日~4月10日にかけて、衆議院の文部科学委員会で、「大学等における修学の支援に関する法律案」および「学校教育法等の一部を改正する法律案」が議論され可決されました。
大学を無償化するべきかどうかを議論する際、必ず考えなければなければならない論点として、「大学としてふさわしくない学校の淘汰」と「補助した学生が将来日本の経済に貢献し、補助した金額以上の貢献が期待されるかどうか」が挙げられます。言い換えると「費用対効果」に関する議論です。
この国会の全議事録を読み「費用対効果」という観点が伺える全ての発言をピックアップしました。それをまとめると以下の通りです。
- 世論調査では大学無償化に賛成しているのはたったの3割しかいない[6][17]
- 大学無償化による経済効果は殆ど検証されていない[4]
- 高等教育を受けるべき人数が何人なのか、そこから逆算して適切な大学数は何校なのかについて議論/検証していない[8][9]
- 大学無償化はFラン大学等を延命させるリスクが考えられるが、大学を審査/評価することで対応できると主張している。しかし無償化の対象外となる大学は殆ど無く10校程度の見込み[1][2][7][11]
- 大学無償化法案は、優秀でない学生であっても低所得世帯であれば補助するというたてつけになっている[3][10][12][13][14][15][16]
- 国会で大学無償化の投資効果を唯一説明していた発言で引用していた研究結果は、「大学卒は高卒よりも高収入である」と言っているだけの研究であり、日本経済全体が成長したという研究ではない[5]
如何でしょうか。「費用対効果」に関する議論が全くなされていないことが分かるかと思います。
(補足1)大学進学の経済効果に関する研究
2019年3月20日に開催された文部科学委員会では、外部専門家が以下の様な答弁をしました。
二〇一〇年ですが、文科省が民間研究機関に委託した調査がありまして、それをもとに国立教育政策研究所が試算したものとしまして、投資と効果ということで、一人当たり二百五十四万円の投資をすると六百八万円の、経済成長と社会に対して貢献するという試算結果が出ております。
その意味でいいますと、高等教育を受けることへの投資というのは、社会に影響、あるいは経済成長にも貢献するんだという一つの材料かなと思ってずっと見てきております[5]
ここで引用している調査とは、以下の国立教育政策研究所による調査のことだと思われます。
大槻国立教育政策研究所所長の発言
「高等教育の効果として、平成22年に文科省が委託調査した考え方に基づき、当研究所において、更に推計の方法、見直し、データを更新して、推計を新たにした。大学の学部生と院生一人当たりの卒業までの公財政支出。国立大学の運営費交付金、私学助成、公立であれば設置自治体からの補助といったものについて、費用一人当たり平均すると253万円余となっている。この(大学)卒業者が高卒と比べて税収等でどういった開きがあるかを計算し、便益としては600万ということで、一人当たりの効果額が差し引き354万円余、公財政支出に対する公財政へのリターンが2.4倍の効果がある。」
出典: 首相官邸ウェブサイト 教育再生実行会議 第3分科会(第6回)配布資料 資料4 教育の社会的効果に関する研究(国立教育政策研究所提出資料)
この調査結果を簡単な言葉で言い換えると、大卒者の給料は高卒の給料より高いという当たり前のことをいっているに過ぎません。決して大卒者を増やすと日本全体の経済成長に貢献するという調査ではありません。
補助金を活用して大卒者の数を増やすと、大卒者間の就職活動が激化するだけであり、日本全体の経済成長に貢献するわけではありません。
日本全体の経済成長は、GDPの増加に寄与するような学生(例えば、科学者や業務を効率化出来るようなビジネスマンになる見込みのある学生)を育てることによって達成されると私は考えます。
国会の場で専門家として発言を期待されている方が、このように研究結果を論理的でない解釈で引用し、それを誰も正さないということは私にはとても信じがたい事実です。この会議の場に同席していた国会議員は誰もこの発言の問題点を指摘していませんでした。マスコミが指摘している記事についても私は一つも見たことがありません。
これは私の推測ですが、この外部専門家を会議に呼んだ方は元民進党の議員ではないでしょうか。実は、民進党は党のホームページでこの研究結果を引き合いに出して大学無償化を主張していました。詳細は以下の投稿をご覧ください。
(補足2)日本に必要な大学の数
2019年3月20日開催の文部科学委員会では、外部専門家として招聘された筑波大学長の永田氏が、以下の様な発言をされました。
現在、我々のこの国の将来を考えたときに、どこまで、数じゃなくて、総収容定員を維持するかという議論をやはりしなきゃいけないだろうと思っていて、例えば物すごく具体的な例を述べますと、これは経産省調べだと思いますけれども、デジタルサイエンスにコミットできる人材、天才は五人か十人なんでしょう、それを支えるための高いレベルの研究レベルの方は百人、二百人。それを支えるための本当にITの汎用性を追求する方はやはりそのまた十倍、百倍、つまり一万人。これは万人という単位で必要[8]だ。
こういう試算を、これからの未来について、それぞれの分野でやっていかないことには、大学数の問題であるのではなくて、我々が育てなきゃいけない高等教育を受ける総人数というものを議論をやはり先にして[9]、その後で、設置形態別に、どのようにそれをしていくかという問題になるんだというふうに認識をしています。
こういった議論を大学無償化の前にまずしなければならないと私も思います。しかし、実際には大学無償化ありきで法案が可決してしまいました。そうなってしまった理由は二つ考えられます。第一に、どの政党にとっても大衆受けする大学無償化は票稼ぎになるため反対できない点、第二に、客観的なデータやロジックで高等教育を受けるべき総人数を推定するのが難しいと思われる点です。
デジタルサイエンスの分野では、様々な仮説を立てて上記の様に「高いレベルの研究者は100~200人必要」との説を導いていますが、それ以外のすべての分野でこの様な推計をすることは不可能だと思われます。ではどうやって大学無償化の線引きをするのが良いのでしょうか。私は、「優秀な学生に補助金を使う」という単純な仕組みが一番効果的だと考えます。以下大学無償化の代替案をご紹介します。
大学無償化の代替案
教育に税金を投じること自体には私も賛成です。国の発展に教育投資は欠かせないと思います。しかし、現状のやり方はバラマキであり税金の無駄遣いです。
そこで「優秀な学生に対してのみ大学無償化を適用する」案を導入するのが良いと思います。
センター試験(大学入学共通テスト)で優秀な成績を獲得した学生は、どの大学に行っても学費を免除するというアイデアです。
「優秀」の定義を上位何%にするべきかは様々な議論があると思いますが、例えば1~3%程度で良いのではないでしょうか。
さらに、上位数%に入った優秀な学生が地方に住んでおり、大学に通うために一人暮らしが必要で且つ経済的に恵まれていない場合は、生活費も一定程度(例えば年100万円程度)給付するのが妥当だと思います。
このような方法をとれば、わざわざ大学無償化が適用される大学かどうかを評価するコストをかけずに済みます。
医学部vs看護学校
センター試験で優秀な学生を無償化の対象とする場合、受験でセンター試験を活用しない学校は適用外となってしまいます。例えば、医学部を目指す学生は無償化を狙えますが、看護学校を目指す学生はセンター試験が無いため、無償化が狙えない(もしくは看護学校の受験合格とは無関係なセンター試験の勉強に時間を費やして無償化の適用を目指す)ということになります。
これでは不平等だと言う感想を持たれる方もいるかもしれません。しかし、日本全体の経済成長や費用対効果を考慮すると妥当なやり方だと思います。
医者は研究者として新しい医療の開発に携わり経済成長に貢献しますが、看護師は既に開発された医療技術を適切に患者に対して施すという技能を持っているにすぎず、経済成長に貢献しているとは言い難いからです(看護師の仕事を否定しているわけではありません。看護師の方々は私たちの生活に欠かせないとても大事な役割を担っていると思います)。
もし、日本全体の医療現場で看護師不足が深刻であるという状況なのであれば、それは「教育の無償化」というう「経済成長を目標とした予算」から捻出するのではなく、「社会保障予算」から捻出するべきだと私は考えます。
看護学校に限らず、センター試験を活用しないその他の高等教育を提供する学校でも、学費を免除する社会的要請があるのであれば別の法律やルールで定めれば良いのではないでしょうか。
普通のサラリーマンvs研究者
一部の人を除き、世の中の大半の人はサラリーマンをしていると思います。そこで、この投稿を読んでくださっているサラリーマンの方々に自問して頂きたいのですが、「もし、自分が大学に通っていなかったとして、今やっている仕事をこなせないと思いますか?」
もし、高卒であっても今の仕事をこなせるのであれば、それは大学に行く必要が無かったと言えます。私自身も含め、多くの方々が大学に行かなくても今の仕事をこなせたと考えているのではないでしょうか。
一方で、新しい技術について開発をしている研究者の方々はどうでしょうか。恐らく、大学や大学院で専門分野を極めたからこそ今の仕事/研究をこなせているのではないでしょうか。
このように考えると、本当に大学に行く必要がある学生がどれほど少ないかのイメージがつくと思います。
今回可決された大学無償化法案では、無償化の恩恵を受けられる個人要件として、「高等学校在学時の成績だけで否定的な判断をせず学習意欲や進学目的等で判断する[18]」と定めています。つまり、意欲を見せれば無償化の恩恵を受けられます。
先程の医者と看護師の比較や、サラリーマンと研究者の比較を鑑みて、このようなゆるい要件設定では、日本の経済発展に資する税金の使い方であるとはとても思えません。
繰り返しになりますが、文科省の官僚の方々には、是非日本の将来を考え、税金の無駄遣いにならない政令等を作り上げて頂きたいと願っています。
[18] 出典: 文部科学省 「高等教育無償化の制度の具体化に向けた方針の概要」
(ご参考)文部科学委員会議事録
本投稿で参照した常任委員会の該当箇所を記載いたします。適宜参考としてください。
○馳委員 花井参考人の思いはよくわかりました。ありがとうございます。
私は、今回で終わりだと全く思っていませんから。今後のこの給付型奨学金制度の拡充に向けて、あらゆる各界各層から、財源論も、公平性も妥当性も、評価のあり方もいただく必要があると思っていますし、大学側には、社会に対するいわゆる透明性、公表の義務があるというふうには私は認識しております。
最後になりますが、大学の評価のあり方について、入ってくる学生の一つの絞り込みはやむを得ないとしても、入った大学が本当に社会貢献しているのか、いわゆる経営悪化した大学の温存策になるんじゃないかという批判には応えなければいけません。[1]
ちょっと時間がなくなりましたが、大学の評価のあり方について、実はオーストラリアにはQILTという評価基準があって、公表されています、国民に。私はそういう制度にしていくべきと個人的には思っておりますが、三島参考人から評価のあり方についてお伺いして、終わりたいと思います。
○三島参考人 現在の国立大学を始めとする大学にとって、しっかりとした評価を受けるべきであるということには間違いがないと思います。
(中略)
今回の案の中でも、大学に対する評価の上で給付型を受けられる大学というのを審査すべき[2]であろうと私は思いますけれども、単なる数値的に今何かを設定するのではなくて、恐らく、大学をつくるときの設置審のような形のものが、できた大学の数年後にもまた評価をしていく、そういったような仕組みを、特に教育の質についてやっていくべきだろうというふうに思ってございます。
(中略)
○花井参考人 今回の法案によって、七十五万人、所要額七千六百億円という数字が示されております。現在の低所得世帯の四割の進学率を全世帯平均の八割まで引き上げるという、その到達した目標数字、所要財源という形で示されております。[3]
(中略)
○小林参考人 もう一つの問題といたしましては、先ほど委員がおっしゃったのは、収益率というのは確かに高いんですけれども、これは個人に対する効果であります。投資の効果としてもう一つ大きな、やはり社会に対してどの程度の効果があるかということなんですけれども、これについては、実は経済学の間でも、日本では投資効果ということの計測が余り行われていません。ですから、税金を使う以上、社会全体にどのような効果があったかということを示していくことがこれから非常に重要な作業になってくる[4]と思いまして、これは私たち研究者の責任でもあるというふうに考えております。
以上です。
○花井参考人 お答えしたいと思います。
この議論は本当にずっとありまして、教育分野だけではなくてさまざまな分野で起こっている問題かと思います。
少し古くなりますが、これは二〇一〇年ですが、文科省が民間研究機関に委託した調査がありまして、それをもとに国立教育政策研究所が試算したものとしまして、投資と効果ということで、一人当たり二百五十四万円の投資をすると六百八万円の、経済成長と社会に対して貢献するという試算結果が出ております。
その意味でいいますと、高等教育を受けることへの投資というのは、社会に影響、あるいは経済成長にも貢献するんだという一つの材料かなと思ってずっと見てきております[5]が、そういうことがあるので、大学、高等教育を受けることに対する税の投入というのは、社会全般での共有するものとしてあるのではないかと思います。その意味で、教育は社会的共通資本というふうに言われるんだろうというふうに思います。
す。
(中略)
○小林参考人 御質問の、教育の機会均等ですが、私も、理想としては、全ての方が無償で教育を受けられるということが望ましいと思っていますが、ただ、現実には、世論の調査をいろいろ見てみますと、大体無償化自体には賛成はするんですけれども、税金を使うということになると途端に反対が多くなるんですね。さまざまな調査の結果を見ますと、大体三割程度しか賛成がないわけです。[6]ですから、これは憲法審査会でも申し上げましたけれども、このままいきますと国民が支持しないということになりかねませんから、そこを、スウェーデンのような、無償化に賛成しているというような状態に国民がなれば別ですけれども、現在ではそこはかなり難しいのではないかというふうに思っています。
(中略)
○笠委員 ありがとうございます。
そして、今回の制度で、先ほど来幾つかの指摘がございましたけれども、新たにこの対象となる大学等の確認要件というものが課せられることになり、その点について、先ほど小林参考人の方からは、やはり、その辺がどの程度検討をされたのかというところ、余りにも短い期間だったので、その辺についてのちょっと疑問が呈されたというふうに思っておりますけれども。
三島参考人にお伺いしたいんですが、専門家会議の座長として取りまとめに当たられ、本当に感謝を申し上げたいんですけれども、その点、やはりこの制度が始まるときに、最初からなかなかこの確認要件を満たさないような大学あるいは専門学校等々が出てくる可能性、危険性というのはあるのか。その辺、どういった議論があったのかをちょっと簡単に御紹介いただきたいと思います。
○三島参考人 そこの大学が果たして、簡単に言うと、きちっとした教育をちゃんとして、そういう勉強意欲、学業の意欲がある人にちゃんとした力をつけられるかをどうやって判断するんだという議論は随分いたしました。
それは、やはり、大学一つ一つにそういった意味での教育の質の担保ができるかというと、これはできないわけですね。それで、何かの仕組みをつくって、先ほどもちょっと私言いましたけれども、大学の設置のときではなく、今動いている中での認証評価みたいなところで、そういう視点で大学がきちっとした教育をしているかというのを何らかの方法でチェックをしていくということをこの仕組みの中に入れていくしかなくて、今、外形的なことで、この大学はだめだというようなことは言えないというのが基本的な結論でございます。[7]
ただ、そういった教育の質の担保というのは、今回のこれだけの財源をつぎ込む、若者の教育に関することですので、そこは非常に重要なところであるということには違いがないというふうに思います。
(中略)
○永田参考人 現在、我々のこの国の将来を考えたときに、どこまで、数じゃなくて、総収容定員を維持するかという議論をやはりしなきゃいけないだろうと思っていて、例えば物すごく具体的な例を述べますと、これは経産省調べだと思いますけれども、デジタルサイエンスにコミットできる人材、天才は五人か十人なんでしょう、それを支えるための高いレベルの研究レベルの方は百人、二百人。それを支えるための本当にITの汎用性を追求する方はやはりそのまた十倍、百倍、つまり一万人。これは万人という単位で必要[8]だ。
こういう試算を、これからの未来について、それぞれの分野でやっていかないことには、大学数の問題であるのではなくて、我々が育てなきゃいけない高等教育を受ける総人数というものを議論をやはり先にして[9]、その後で、設置形態別に、どのようにそれをしていくかという問題になるんだというふうに認識をしています。
出典: 衆議院ウェブサイト「第198回国会 文部科学委員会 第4号(2019年3月20日開催)議事録」より一部抜粋
○伯井政府参考人 今回の高等教育の無償化につきましては、経済状況が困難な家庭の子供ほど大学等への進学率が低い状況にあるということなどを踏まえ、低所得者世帯に限って実施するものでございます。これにより、低所得者世帯の進学を後押しし、低所得者世帯の進学率は、今回対象となる住民税非課税世帯及びこれに準ずる世帯の進学率、現状四割でございますけれども、これが全体進学率の八割まで上昇することを目指していく[10]ということでございます。
(中略)
○牧委員 今回、私学は特になんですが、給付型奨学金、機関としての承認が受けられる学校、これについては経営の基盤等がきちっと問われるわけですけれども、経営の基盤が問われるということは、つまりは、恐らくそこがかなりの割合で定員割れを起こしている可能性があるというふうに私は思います。
実際に、ちょっと調べたところ、三十年度で、大学五百八十二校中二百十校、三六・一%、それから短大三百一校中二百十二校、七〇・四%で定員割れ。収支状況でいうと、大学五百五十一法人中二百十七法人、三九・四%、短大でいうと百五法人中五十二法人、四九・五%、約半数で消費支出が帰属収入以上ということで、赤字がずっと続いているというような状況であります。
今回、この対象外になる学校というのが、うわさでは十校程度というふうに聞いております[11]が、これからどんどんそういうところがふえてくるという理解でよろしいんでしょうか。
○伯井政府参考人 経営要件として、経営が不振なところあるいは収容定員の充足率が一定以下のところにつきまして、今回、機関要件で、高等教育無償化の対象とならない大学を要件設定しようとしておりますが、申請手続を行う時点における直近三カ年の決算の状況あるいは直近の収容の定員充足率で判断いたしますので、今後それがふえるかどうか、対象とならない大学等がふえるかどうかというのは、現時点ではちょっとお答えすることは困難でございます。
(中略)
○吉川(元)委員 まあ、学問分野の特性というのはいろいろありますから。わかりました。今の御答弁で、私自身の理解は、先ほど言ったとおりの理解だということにいたします。
次に、個人要件のことでありますけれども、先ほども少し紹介をいたしましたが、学生に課される個人要件で、特にすぐれた者であって極めて修学に困難があるものが支援の対象[12]、このうち後者、極めて修学に困難があるものというのは、住民税非課税世帯というふうなことで、客観的な基準が設けられております。
前者の、特にすぐれた者なんですけれども、先ほど紹介をいたしました制度の具体化に向けた方針の中では、成績だけで否定的な判断をせず、レポートの提出や面談などで学習意欲を確認するというふうにあります。
これは非常に抽象的でよくわからないんですけれども、成績基準なのか、それとも進学の意欲なのか。学びたいという意欲があれば、多少成績の基準は満たしていなかったとしてもいいということなのか。これはどういうふうに解釈すればよろしいんでしょうか。
○伯井政府参考人 御指摘の点でございますが、高等学校在学時の成績だけで否定的な判断をせずというのは、今おっしゃられましたように、学習成績が一定の評定値以下であったとしても、高校などにおきまして、レポートの提出あるいは面談等により本人の学習意欲、進学目的が確認できれば対象にしていこうという趣旨[13]でございます。
(中略)
○伯井政府参考人 高等教育機関への進学率は、全世帯平均では約八割であるのに対しまして、住民税非課税世帯では四割程度[14]という推計がございます。全世帯の半分程度ということでございます。
支援対象となる学生でございますが、低所得世帯の進学率が新入生から順次上昇して全体の進学率に達して、全員が要件を満たす大学等に進学するという仮定を置いた場合でございますけれども、高等教育段階の全学生の約二割の七十五万人程度になるというふうに想定しています。その七十五万人程度の所要額は約七千六百億円というふうに試算[15]をしているところでございます。
その内訳は、給付型奨学金が最大約三千五百億で、全額これは国費負担でございます。授業料減免は最大約四千二百億で、そのうち約五百億円が地方負担、残りが国費ということでございます。
出典: 衆議院ウェブサイト「第198回国会 文部科学委員会 第5号(2019年3月22日開催)議事録」より一部抜粋
○伯井政府参考人 平成三十年度の学校基本調査ですが、大学は七百八十二校で学部学生数が約二百七十六万人、短期大学は三百三十一校で学生数約十四万人、高等専門学校は五十七校で学生数約二万人、これは四年生、五年生ですけれども。専門学校は二千八百五校で学生数約五十九万人となっております。学生数は合計で約三百五十万人となります。
支援対象者の学生の占める割合でございますが、高等教育機関の進学率が、全世帯では平均約八割であるのに対して、住民税非課税世帯では四割程度というふうに推計をしております。この低所得世帯の進学率が新入生から順次上昇して全体の進学率に達して、それらの者が要件を満たす大学、短大、高等専門学校、専門学校に進学すると仮定した場合、高等教育段階の全学生数約三百五十万人の約二割に相当する七十五万人程度が、最大[16]でございますが想定されております。
出典: 衆議院ウェブサイト「第198回国会 文部科学委員会 第6号(2019年3月27日開催)議事録」より一部抜粋
○笠委員 最後にもう一点伺いたいんですけれども、ちょっと大学の問題とも関連してくるんですけれども、先般の参考人質疑の中で、いわゆる高等教育無償化へ向けての、税金を使うことについて三割程度しか賛成がないんだ、大学等々にそういった税金を使うことについて理解が得られていない[17]というような話がございました。
この原因というものを大臣はどのように考えられているのか、お聞かせいただきたいと思います。
○柴山国務大臣 参考人から今御指摘のあったような御発言があったということは、承知をしております。
この背景として、参考人からは、高等教育に対する社会の信頼が必ずしも高いとは言いがたいとの御主張があったことも承知をしておりまして、私としても、この高等教育に対する社会の信頼を確保することが不可欠であるというように考えております。
この点、消費税を財源とした高等教育無償化を実現する以上は、やはり進学先である高等教育機関の教育の質や説明責任、研究力、組織のあり方がこれまで以上に厳格に問われるものと考えておりまして、先般、高等教育・研究改革イニシアティブを公表させていただきましたけれども、これも踏まえて、ぜひ、今回の大学改革を一体的に進められるように御理解をいただければというように考えております。
出典: 衆議院ウェブサイト「第198回国会 文部科学委員会 第7号(2019年4月3日開催)議事録」より一部抜粋